台風による会期変更
台風5号は、8月2日午後6時ごろ宮崎県日向市付近に上陸し、時速20キロで北北西から北に進路を変え九州を縦断していました。強風などのため鹿児島、宮崎、佐賀、大分、広島、岡山各県で計18人が骨折などの重軽傷を負い、なおも台風は勢力を弱めながらも九州を抜けて中国地方を北上、3日早朝には日本海に抜ける見込でした。九州・中国地方の各県では数万人、数百世帯に避難勧告が出され、自主避難した人は計約2800人、停電となっている地域も出ていました。各種イベントは中止が相次ぎ、交通機関も乱れました。
ピースウォール広島の会期は8月3、4、5日の3日間で、展示作業は2日深夜から3日早朝にかけての徹夜作業を予定していましたが、この台風5号の暴風雨下での作業は危険極まりないとの判断から、7月31日夜、1日延期して4〜6日を会期とすることに急遽決定し、関係者へ連絡を入れることとなりました。ピースウォール開催は今回で4回目となりましたが、屋外でのイベントとはいえ、これまでに会期を変更した経験はなく、むしろ、中止にならなかっただけでも幸いといえるでしょう。
徹夜作業と関係者の願い
3日夜9時、近くで待機していた運搬車輌が次々と警備員に先導されながら会場に乗り入れます。積んで来たのは、投光機、フォークリフト、養生用パネル、鉄骨、重り用砂袋など。夜を徹しての会場設営作業の始まりです。約20人の作業員が手際よく作業を進めていきます。地元広島はもちろんのこと、奈良、大阪、神戸、東京からも人、部材を集めての作業です。図面や工具を持ったスタッフたちが淡々と着実に一歩一歩オープンを目指します。会場となった、基町クレドふれあい広場は、生活、通勤、通学のため毎日のように通り抜けている人も多いため、作業中とは言えどもこれらの方々の通行を完全にシャットアウトするわけには行きません。そのため、警備員を中心に安全には十分すぎる配慮がなされました。
前日まで嵐が吹き荒れていたとは想像もつかないほど、風も雨も無い、静かな夜でした。そのお陰で、250点近い芸術作品の特殊プリントシートや平和メッセージは風に飛ばされることも、雨に濡れることもなく、丁寧に取り扱うことができました。作業現場だけが投光機の光で浮かび上がる中、設営作業は続き、日付は4日となり、やがて、太陽が昇り朝を迎えました。ご協力いただいた全ての方々の想いが、展示会準備作業を助けてくれたのでしょうか。台風による会期変更はあったものの、その他は予定通り、滞りなく順調そのものでした。
過去最高の注目度で開幕
8月4日午前10時、ピースウォール広島は正式オープンとなりました。産経新聞などマスコミ数社に取材に来ていただきましたが、中でもテレビ新広島にはオープン当日のお昼のニュースで取りあげていただき、来場者の増加に結びつきました。また、駐日コロンビア大使のラウル・アルトゥロ・リンコン・アルディラ氏を始めとして、平和メッセージをいただいた方々にもお忙しい中ご来場いただきました。
会場となった基町クレドには、おしゃれな専門店街パセーラ、広島そごう、リーガロイヤルホテル広島が集合しており、バスセンターも隣接しているため、土、日曜日と重なった4日、5日には多くの家族連れを中心に賑わいました。小さなお子様の手を引きながら鑑賞される方も多く、いつまでも忘れられない夏の思い出となったことでしょう。また6日月曜日は平日ということもあって、来場者数は多少減ったものの、午後6時過ぎから、仕事帰りに立ち寄ってくださる方々が増え、午後8時の終了時間を過ぎても熱心に鑑賞してくださる方もいらっしゃいました。
パネル上段にある平和へのメッセージの中に有名人の名前を見つけて歓声を上げる人、メッセージの一つ一つを丁寧に読みながら会場内をゆっくりと歩く人、芸術作品について受付のスタッフに熱心に質問をする人、気に入った文芸作品のメモをとる人など、これまでの展示会では見られなかったほどに、熱心で真摯な反応が来場者にはありました。どこよりも平和を願う心、平和に敏感な広島県民ならではの反応といえるでしょう。「広島で開催してくれて、ありがとう」という暖かな気持ちが溢れ、それは、来場者の皆様から頂く言葉や、笑顔からも感じ取ることができました。これは、出展芸術家への感謝であり、メッセージをくださった方々への感謝にほかなりません。
時節柄、「アートのイベント」というよりも「平和のイベント」としてご覧になられる方々が多かったようです。平和と言っても、平和に対する考え方は各々違ったものを持っているため、万人が参加できるような平和イベントは残念ながらあまり存在しません。本展はジャンル、派閥、分野などにとらわれずに芸術作品を選考し、メッセージも様々な分野から偏ることなく頂けるように配慮しました。来場者された方々は、それぞれの視点で共感できる作品やメッセージを見つけてくれたことでしょう。
夏。広島。平和。
本展最終日となった6日朝、広島市中区の平和記念公園では、平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)が今年も行われました。原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するため、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめ、市民多数の参加のもとに挙行されました。式典の中で広島市長によって行われる平和宣言は、世界各国に送られ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けています。また、原爆の投下された8時15分には平和の鐘やサイレンを鳴らして、式典会場、家庭、職場で原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が行われました。
その他にも、夏、広島では平和関連行事が多数開催されます。「原水爆禁止国民平和大行進」、「資料展 ちちをかえせ・ははをかえせ 『原爆詩集』のできるまで」など大規模なものから、市内公民館などで開かれる、「被爆樹木巡礼展」、「企画展原爆の碑をめぐって」、「市民が描いた原爆の絵展」、「平和ポスター展」、「平和の絵本展」、「戦争と市民 ミッツラフと日・中・独の青少年平和絵画展」など、どれも内容、価値、共に充実したものばかりです。平和への願いは最高潮に達します。本展もその中の一つでした。
来場者の言葉から
人々の平和、幸福を訴えてこそ本物の芸術家だ。参加されている芸術家に感謝
作品に額が無く、大きくプリントされ、その上全て赤で統一されて、とてもきれいでした
デモをするのでもなく、静かに考えさせてくれるイベントでした。それにより、世界が抱える問題が大きく、説得力を持ち、感慨深い一日になりました
平和を口に出すことは簡単でも、それを本当に実行するには、強い勇気や覚悟が必要だ。今日はそんな国際平和協力を実感できる言葉や作品に触れることができて、うれしく思います
現在、私たちのいる日本では考えられないことですが、同じ地球上にいる人たちは、決して他人ではないと思う。私にも、何か出来ることがあったら、自分からやっていきたいと思う
平和への願いを込めて作品を作った芸術家なのだから、名前をもっと大きくはっきりと表記してもいいのではないか
平和を題材にした芸術、自由に創作した作品、僕としては受け付けるものも受け付けないものもあった。結局は、芸術そのものの問題か
神戸でも拝見しました。友人にも宣伝してます。平和もアートも大切なことですから、いつでも身近なところにあることを願っています
第二次世界大戦では、アジアで2000万人、日本で310万人以上が犠牲になった。その事実をよく考えてほしい。平和の尊さを決して忘れてはならない
芸術など無意味と思っていましたが、このようなイベントなら芸術も生きる。芸術にも存在価値がある。
その時代に生きる芸術家の在り方を検討しよう
たいへん良い企画です。これからも、こういった活動を続けてほしいと思います
エイズの人達が、夢も希望も失ってしまうような世界にはしたくありません。だから、みんなが協力できたら良いと思います
憲法9条を守り、平和を愛する人々の交流の場として、これからも続けていってください。
最後に
以上、本展の成功を収めることができたのは、ひとえにご参加頂きました芸術家の諸先生方、平和へのメッセージをくださった皆様方のお陰であることは申し上げるまでもございません。心より感謝申し上げます。今後とも皆様方のさらなるお力添えを賜りますようお願い致しますと共に、皆様のご発展をお祈り申し上げます。(事務局長 大橋健一郎)
参考:広島市ホームページ
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