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1924年5月9日パリ生まれ。フランス芸術学士院会員、元老院主任建築家、コンデ美術館学芸員。1977年6月29日、カルリュの席に建築家部門で選出される。レジオン・ドヌール4等勲章授勲者、国家功労章3等勲章授勲者、芸術勲章3等勲章授勲者。1970年〜1974年 元老院(フランス上院議会=LE SENAT)改築、1980年〜1988年オルレアン市カテドラル広場一帯の改築整備、1985年〜1988年 ムルテ・モーゼル県議会事務所(ナンシー市)、1986年〜1988年マンシュ県サン=ロー地方会館他、パリのベルシー橋など多数。 |
クリスチャン・ラングロワはフランス建築界の重鎮の一人である。
彼がこれまで担ってきた主要な建築作品は、パリのリュクサンブール宮殿拡張に関わるすべての建築、ナンシーの警察署の新庁舎、オルレアンの大聖堂の周辺施設全体の建設、リモージュの地方庁舎、マンシュ県の県会館など。
特に70年代に行われたリュクサンブール宮殿拡大事業の一つ、元老院の大改築と、80年代のオルレアンの大聖堂周辺にまつわる仕事は、その年代を通じて、フランスでもっとも壮大で大規模な建築事業であった。ラングロワのすべての作品に共通するのは繊細な優雅さ、ゴージャスさ、バランスの良さ、そして円熟した古典的な品格の高さである。
しかしラングロワ自身の言葉をかりれば、「わたしにとっての独創性とは、形態学的に人間の本性に適合した、永続し得る諸要素の結合から生まれる」ということになる。つまり彼は、現代や、現代が象徴する精神や技術への服従を断固として否定する作家なのだ。もし美しい建築物の形態が過去の作品の色彩を帯びるというなら、どうしてそのことを恐れる必要があるのか。ラングロワの意見では時代性を芸術家に求めるのは間違いだという。もし芸術家に時代性を要求するなら、ブーグローは正当でマネは邪道という意見に行き着いてしまう。ただ、彼は芸術において、歴史の意味は存在しないと考えているのだ。そして建築家にとっての使命とは、時代の証人たらんとすることではなく、あくまで美しい建築物によって人々を魅了することであると。その通り、ラングロアの建築は観賞されることに主眼をおいたものなのである。そして、それらの作品に対する評価は、彼の作品に接した多くの人によってすでに証明されている。
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1944年貴族の家系に生まれる。ソルボンヌの高等実践研究所で古銭と紋章の象徴研究を行い、特にフランス中世貨幣を美術的見地から研究。1983年ある画家との出会いにより美術界に入る。1989年美術雑誌の創刊に携わり編集長に。1994年『ユニヴェール・デザール』誌創刊。国内だけでなく韓国でも美術展の開催に尽力。そのほか、多数の美術サロンや財団の企画する展覧会の審査員を努めている。 |
日本とフランスを結ぶ芸術の絆
1994年、私たち創立メンバーは、伝統派の美術家たちのために発表の機会を作りたいと、「ユニヴェール・デザール」を発刊しました。そして、今年、大成功のうちに創立10周年を迎えました。
真の芸術は、時代の流行や傾向を超えて、収集家であれ単なる美術愛好家であれ、多くの人の心を打つものと我々は考えています。読者からのお便りでも分かることですが、確かに「ユニヴェール・デザール」はそれまでの美術界の空隙を埋めるものでした。
同じことが「ユニヴェール・デザール日本版」にも言えましょう。日本版も、必ずしも定まった画廊を持たずに発表の場を求めている芸術家を広く紹介することを旨としています。
「ユニヴェール・デザール」のフランス版と日本版はこの意味で補完関係にあり、両者とも自由な芸術表現のために尽力しています。日本の芸術家とフランスの芸術家はこうして友好的に作品を比較し合い、異文化によって互いに自分を豊かにしていくことができます。
「ユニヴェール・デザール日本版」は3年前に発刊されて以来どんどん進展し、今では日本の美術界にかなりの位置を占めるようになっています。この二つの美術誌が、日本とフランスの芸術家の友情の絆になることを心より願っております。
パトリス・ドラペリエール
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